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ブログ2:大英帝国

大英帝国はヨーロッパにあって、長い歴史を持っている国の一つです。その長い歴史には輝かしい瞬間があります。例えば、イギリスは島国なので、他の国からの襲撃を反撃できるから、強い海軍を作る需要があります。そのために作った海軍の強さは十六世紀のスペインや十九世紀のフランスとの戦いに世界を証明し、色々な話が記載されてしました。しかし、英国の海軍は国を守るだけでなく、帝国のために新世界を征服することもよく助けてあげました。その時代、遠征していた艦隊は大英帝国の象徴だといわれていました。イギリス人は未知の世界を発見して、それを拓殖しました。七年戦争の後、フランス人がインドから脱出して、イギリス人は全インドを占領した後、大英帝国は「太陽の沈まない国」の称号をもらいました。その時、インド、北米、オーストラリアは全部帝国の領土で、イギリス人の足跡はどこにも見えます。それとの貿易を独占したので、帝国の経済をよくなりなした。しかし、原住民の惨状は一層厳しくなっていました。大英帝国は彼らを弾圧して、奴隷として売りました。そして、アメリカ人などのもとイギリス人の願いも無視したので、抵抗したいと考えていた人も多くになりました。それはイギリスの歴史の汚点の一つです。

吹雪

沢山の雪が降りました。気候変動の徴候でしょうか。最近、クラスに行く途中で歩道で滑って転んで遅刻することが多いです。慎重に歩かなければいけません。淡雪が好きですが、吹雪は本当に面倒くさいですね。でも、冬の静寂な夜に好きな人と散歩するのはとてもロマンチックですね! 道端に積もった雪が溶けると、歩道は濁流のように浸水するかもしれません。水に浸した靴は耐え難いと思います。二年生の時のように、寝室の天井から水が漏れるでしょうか。今年、私は最上階に住んでいますから、少し悩んでいます。春休みはいつ始まりますか。春の暖かい日が欲しいです!

アレルギー

日本と言ったらお寿司。そして大抵の日本人はお寿司が大好きです。けれども、私は日本人なのにお寿司が嫌いです。お寿司のなかで刺身と魚介類が特に苦手です。生の魚のグニャっとした柔らかい感触は好きではありません。私の父と妹は大の釣り好きで、いつも我が家では新鮮な魚を使った手巻き寿司を晩ご飯で食べています。そのときは私はいつも卵ときゅうりとかにかましか入っていない刺身抜きの手巻き寿司を食べています。そして、私はお寿司が嫌いもう一つの理由があります。それは私が高校生のとき、日本の寿司屋のちらし寿司を食べてアレルギーを起こし、倒れて救急車で病院に運ばれた事がきっかけです。病院で抗生剤を打たれ助かりましたが、近所の方に救急車の中に運ばれる途中に物珍しげな目で見られたり、周りの人に面倒をかけた事に惨めな思いをしました。未だに何にアレルギーを起こしたかは分かりませんが、母はちらし寿司に入っていた食品添加物だと思っています。私はこの事件から少しトラウマをおこし、お寿司を食べるのが怖くなりました。

発展途上

バレンタインデーなのに、一人で自分が買ったチョコを食べるなんか悲惨ですね。相手を尋ねっている独身者にとって、道端で彼が鮮やかで朱色のバラを彼女に贈り物として手渡して、彼女が恥ずかしくて顔が赤になって柔らかくて幸せな微笑を浮かべる場面を見るだけでも刺激でしょう。でも、意気消沈しないで、自分が他の人より秀でている点を利用して、点滴石を穿つことを信じて、何時か相手に会うことを信じたら、今は釈然としない孤独と寂しさが少なくなるでしょう。そもそも、瞬く間に時間が経って、人生も経ってしまいました。若い時の勉強を人生の投資と考えて尽力して、自分が発展の途上にあることを信じて、遅咲きの人になれるかもしれません。    

言語を習うということ

自分の母語以外の言語を流暢にしゃべれることを中国では『二つの舌をもっている』といいます。子供の頃は英語をもっと習えと、年配の親戚に『二つめの舌がないと将来出世できないよ!』とよく言われました。あの時は英語を勉強するのは本当に苦痛でした。日本に行ってからも、英語と英会話の授業が一番苦手でした。日本語もろくにできないのに、きらいな英語も勉強しろって言うのはかなり筋が違うと私は思っていました。今でもあの時の気持ちを鮮明に覚えています。ある休暇の朝に、私は寝室の布団の上に横になったまま頭を回転させていました。いつになったら日本語を日本人のように喋れるだろうと、いつになったらクラスでの会話の内容を理解できるようになるのだろうと考えていました。生身の人間が二つもの舌を手に入れられる訳がないし、私は永遠に母語以外の言語を流暢にしゃべることができないという結論にたどり着いた時、私はきっと絶望の淵にいたのだろう。今で考えれば、あの時の私は日本語を上手にしゃべる自分を心の奥底から想像できなかったのです。成功する自分をまったく想像できない時にでも、なんとか辛抱して歩き続くのはとても嘆かわしいことです。でも、実際、今でも日本語は完璧ではありませんが、当時の自分が目標にしていた自分にはなっています。新しい言語を勉強するのは前途多難なことです、時には自信をなくしますし、絶望もします。なぜなら、はっきりとした進歩が見えない時が多いからと思います。でも、例え成功する自分を想像できなくても、尽力に努力を続ければ、七転八倒でも、必ずいつか想像すらできなかった自分になれるはずです。今の私の目標は日本人のように文章を書けることです。もう大人ですし、想像力は随分発達しましたので、新聞記事のような秀作を書けている自分は想像できます。焦らず、コツコツとやれば、必ずいつか目標に達することができると私は信じています。  

洗濯

日本には、もちろんアメリカと比べて生活の習慣が違います。ホストファミリーの奥さんは毎日ほぼ洗濯をしました。洗濯機の扱い方を教えてくれました。ところで、乾燥機がなかったので、そとで服を乾しました。雨の日は寝室で乾してそうしたら、寝室は家の寒い側にあったから、遅く乾かれました。だから、奥さんからもらった扇風機を早く乾くために使いました。一つしか文句を言いたくて洗剤そんなに少なく役立たないほど使ったから、よく洗濯機できれいにならない服に付いた汚点を手で洗いました。それ以外素晴らしかったです。大抵毎週の土曜日か日曜日の朝に洗濯してそれをしながら頭が痛く気づかれまでに奥さんと一緒に話しました。頭の中で約三間日本語と英語を順番に訳したし、一匹オオカミっぽいだし、いい経験ですが、面倒くさかったです。時々頭が水に浸している感じがしました。そんな時簡単な日本語でも分からないほど頭が困っていて頭が鈍い感じがしました。

為替レート

日本の状況について考えたら、不況というわけではなくて日本にいた時ドルは円と比べて強かったです。日本人に対してそれは良かったんですが、一方で金遣いやすすぎました。例えば、日本の眼鏡の値段で驚いて三つ買ってしまいました。ところで、眼鏡を始めて買った場合は本当に恥ずかしかった。眼鏡の言葉は外国人に対してそんなに一般的じゃないので、簡単な単語を分からなかった。他には毎日毎日菓子を買ったり鉛筆とノートでも買いました。それ以外あまり買いませんでした。スーツケースの重さは大切だったし、服は高かったし幾度も服を買いたくてもそんなに買いませんでした。すぐ帰った前に残っていたお金はギリギリでした。ちょっと心配しました。

歳月人を待たず

2014年十二月二十七日 姉は部屋でまた写真を一枚一枚見ている。毎年の今度に、その写真を出してくれる。姉の彼がイギリスに行ったからもう三年だね。三年前に、彼氏はロンドン大学の 申し出をもらった。家族と友達はその天の恵みは驚喜だと思いだけと、この申し出の含みは彼氏が姉を離れさせだった。その状況を聞いた後、姉はよく泣いて、何も食べないのに、「ロンドン大学に行きたらいい」のお勧めを彼に言った。彼は「恒例の夏と冬の休暇に、帰ることをつもりですね」を約束した。彼が出発した後、姉はたくさん写真を印刷した。その写真は唯一つの記憶になった。今まで、 遠距離恋愛は三年になる。でも、歳月人を待たず。姉は彼をいつも待てますか?

悩み事

冬休みが瞬く間に過ぎました。ぐっすり眠れました!でも、今悩み事があります。耳を傾けてくれませんか。 私はボストンに戻ってから、毎晩寝そびれます。毎日夜更かしをしていると体を壊すかもしれませんが、本当に寝られません。荒天のせいかもしれません。ヘッドフォンをつけても、木枯らしの音を聞いて幾度も目を覚ます。22歳なのに嵐や鳴り響く雷の音を恐れているのはなんか恥ずかしいと思います。悪天候のことを考えると惨めな想いをします。豪雨が皆さんにとって天の恵みですが、雷が私の心臓の鼓動を激しくします。 どうすればいいでしょうか。雨を鑑賞できるようになりたいです!

ブログ1:北朝鮮と世界

西洋諸国にとって、北朝鮮はいつも危険な存在だといわれています。特に、北朝鮮と韓国の関係は1950年の朝鮮戦争以来いつも厳しい。その戦争を決めた北緯三十八度にある両国の国境線はもう世界で一番大変な場所になりました。その原因は、韓国は西洋諸国の盟友なので、戦争がもう一度始まる可能性があります。更に、韓国はいつも北朝鮮から越境して逃げた人に援助してあげるので、北朝鮮に出したい人があります。北朝鮮はそれを止まるために鎖国しました。現在、北朝鮮に住んでいる人は外国の新聞がぜんぜん見えないので、外の世界の状況は皆目見当がつかない。それに、今は北朝鮮に旅行できますが、北朝鮮の人は外国人によく戒心を持っていますから、外国人と国民を話すのは禁止することです。数年前、北朝鮮はアメリカからの観光客を監禁されてしました。北朝鮮はいつもアメリカが敵とするので、アメリカ政府は緊張しになって、それを介入しました。北朝鮮と交渉した時、手に汗を握た場合もあります。でも、北朝鮮は最後に人質をアメリカへ安全に返還しました。しかし、外国、特にアメリカとの関係をよくなりたいなら、まだ色々なことをしなければならない。