自分の母語以外の言語を流暢にしゃべれることを中国では『二つの舌をもっている』といいます。子供の頃は英語をもっと習えと、年配の親戚に『二つめの舌がないと将来出世できないよ!』とよく言われました。あの時は英語を勉強するのは本当に苦痛でした。日本に行ってからも、英語と英会話の授業が一番苦手でした。日本語もろくにできないのに、きらいな英語も勉強しろって言うのはかなり筋が違うと私は思っていました。今でもあの時の気持ちを鮮明に覚えています。ある休暇の朝に、私は寝室の布団の上に横になったまま頭を回転させていました。いつになったら日本語を日本人のように喋れるだろうと、いつになったらクラスでの会話の内容を理解できるようになるのだろうと考えていました。生身の人間が二つもの舌を手に入れられる訳がないし、私は永遠に母語以外の言語を流暢にしゃべることができないという結論にたどり着いた時、私はきっと絶望の淵にいたのだろう。今で考えれば、あの時の私は日本語を上手にしゃべる自分を心の奥底から想像できなかったのです。成功する自分をまったく想像できない時にでも、なんとか辛抱して歩き続くのはとても嘆かわしいことです。でも、実際、今でも日本語は完璧ではありませんが、当時の自分が目標にしていた自分にはなっています。新しい言語を勉強するのは前途多難なことです、時には自信をなくしますし、絶望もします。なぜなら、はっきりとした進歩が見えない時が多いからと思います。でも、例え成功する自分を想像できなくても、尽力に努力を続ければ、七転八倒でも、必ずいつか想像すらできなかった自分になれるはずです。今の私の目標は日本人のように文章を書けることです。もう大人ですし、想像力は随分発達しましたので、新聞記事のような秀作を書けている自分は想像できます。焦らず、コツコツとやれば、必ずいつか目標に達することができると私は信じています。