April 12, 2015 at 9:57 pm
まだ中学生の頃、一つの恋をしました。恋を渇望したわけではありませんが、恋の渦に陥いりました。青春時代の恋は欲望という欲望はなく、婚姻関係になりたいなど、思ってもいませんでした。その人を見るたびにうれしくなり、話ができただけで幸せでした。同じクラスメートとして、毎日会えた日々を享受していました。記憶にあるのは、時は炎天下の夏で、シャツを着ながら、部活動で偶然顔を会わせられるよう、遠回りでもして、グランドを回りました。。片隅で片思いだけというはいやでしたので、前に出て、仲良くなろうともしましたが、もちろん付き合ってはくれませんでした。幼い時の淡い恋は叶わないのが普通で、遺憾はありません。単純に人を好きになれたあの年頃だけを懐かしく思います。
By Kiyomi Fukada
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April 12, 2015 at 9:10 pm
私は二十何歳の成人した人ですが、私が思うには、私はまだまだ幼稚で、大人と自称しない方はいいと思います。大人の世界は魅力的で、自由や欲望、誘惑に満ちています。それは抽象的で現実的なものではないことはわかっています。実際の大人の世界は仕事や家族、人間関係でストレスいっぱいなものなのでしょう。しかし、やはり想像せずにはいられません。自由で、能力次第で自分の世界を操れる、そんな大人の世界に陶酔します。都市の輝く夜、カクテル、宿題をしなくてもいい、好きな時間に帰宅し、気に入る本を読む、そんな魅惑的な世界に憧れます。憂いもあるでしょうが、それもきっと小雨のように乾いた空気を潤んでくれるようなものでしょう。そんな精練された日々をゆったりと過ごしたいです。
By Kiyomi Fukada
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April 12, 2015 at 9:00 pm
大佐の役を務めている彼女ほど負けず嫌いの人間はいません。天壌無窮の功績を残し、傑出するために懸命に献身しました。貿易を津々浦々に増進するために、彼女は危険な川口に大規模な桟橋を建造するつもりでした。彼女はどうしても殊勲をたてたがっていたので、佐官に助力を懇願しました。しかし、佐官は「宵越しの銭は持たない」と信じる人だったから、全然役に立ちませんでした。大佐はただ過剰な自己顕示欲があったと思いました。それから、かなり長い時間かかりましたが、結局暗礁に乗りました。でも実際は、いくら懸念があっても、功績はいつか越えられるのは肯定的なことです。
By Mengqi Zhou
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April 12, 2015 at 8:20 pm
中国の唯一の女帝、武則天は元々皇帝の歌姫でした。女でありながら、万難を排除して、たくさんの人から嫌われながら、歯を食いしばって、皇帝までに辿り着きました。今でも、女性がトップに立つのは珍しい。その時代、女性が皇帝になることは常識を覆るものでした。女帝になってからも順風満帆ではありませんでした。一番えらい人になるということは、同伴する人がいないトいう意味もあります。想像できない孤独を味わったこてでしょう。彼女の墳墓の近くに、石碑があります。その上に文字はありません。まるで世の中の人に理解されなくでもいいように。
By Kiyomi Fukada
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April 7, 2015 at 4:38 pm
インド共和国は南亜細亜にある一番大きい国です。インドは昔、大英帝国の殖民地の一つになりました。イギリス東インド会社は1849年に全インドを占領して管轄権をもらいました。その後、イギリス政府は1857年のインド大反乱を鎮圧して、政府は全責任を負っている東インド会社を解散させ、インドの管轄は政府が続けました。第二次世界大戦の後、イギリスが弱くなり、インドの逸材:マハトマ・ガンデイーはインドの独立を頑張りでついに1947年に成功しました。しかし、ヒンドウー教とイスラム教との紛争を平和的に解決できないことは、ガンデイーの一生の遺憾です。頑固なヒンドウー教信者はムスリムを迫害することはこの災禍の禍根です。パキスタン(イスラム国家)が南亜細亜の一隅に成立した理由はも宗教の違いです。両国はカシミールの帰属のために三回の印バ戦争をしました。そして、インドはパキスタンを威嚇したいために、核兵器を開発しました。パキスタンはその恐喝の反応は自分の核エネルギーを研究しました。今のカシミールアリアはとても混乱の地区です。また戦争をすることを見たくないです。
By Jui-Chang Lee
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April 6, 2015 at 12:23 am
“火垂るの墓”は高畑勲が監督を務めたスタジオジブリの映画です。“火垂るの墓”は第二次世界大戦の間に行われて、せいたとせつこの兄弟の逸話です。せいたとせつこは戦争の間に母を火事で亡くし、父は艦隊の艦長を務めていたが、もう生還しないと小耳に挟み、兄弟の二人は飢えをしのぐために御飯を盗んで食べてたりしていました。この話のなかでドロップと言うあめの入っている缶詰と蛍が大切な象徴です。妹のせつこはいつも蛍を捕まえて、蛍の光に魅了されたりしていました。そしてせつこが飢餓して死んだ時に、せいたはせつこの遺灰をドロップの缶詰に入れました。この切ない話は日本だけでなく、世界中を泣かせました。
By Aileen Furugen
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April 2, 2015 at 7:56 pm
2015年3月24日、ジャーマンウイングスの飛行機はフランスに墜落し、全員が死亡した。この災禍の開示の暁には、世界が威嚇されました。マレーシア航空から、今ジャーマンウイングスまで、多寡な人は飛行機の虞があったし、担当者が襟を正した。この事故に、飛行機は山にクラッシュし、甲殻に陥没した。でも、その領域は雪渓があったから、救援活動しにくい。数日後、報告によると、誰も生還しないで、事故の現場も見るに堪えなかった。そして、副操縦士はうつ病を患い、飛行機の稼働間に、自殺するのに決めた。世界中の一番遺憾なことは、誰かを失うのが知らないです。
By Zheng Wang
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April 2, 2015 at 7:20 pm
成年に達してから、猿知恵はだんだん役に立たなく、前よりもっと自分の欠陥を補いたくなった。小さい頃は勇気があって頑固に自説を主張するが、今は堪忍し、且つ他人の気持ちを考えて進退窮まり、多数に認めない虞があるので、ついに襟元に付いた。出る杭は打たれるからして、生涯で凸凹して歩きにくい道に面するたびに、渦に巻きこまれる面倒を避けるでしょう。目立たぬことや平凡であることが美徳とされているが、私からすると謹慎するのはただ大人の甲殻だ。周りの人々は人垣みたい立ち並び、誰かが異常な行為や思想があると(例えば同性愛者や黒色人種など)、ただちに排斥する。しかし、往々に常軌を逸する勇気がある人は世界を変えられると思う。
By Mengqi Zhou
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March 26, 2015 at 2:49 am
この文はちょっと敏感な政治状況を含まっていますが、大陸の人に犯すつもりはないです。
現代人はよく台湾と中国の違いを考えていますね。実は、台湾でも中国大陸でも「中国」と呼ばれていいです。西暦1911年、中国の国家主義者は清朝の皇帝を討伐して、政府を覆した。中国にある最後の封建制度の政府が滅亡された後、中国国民党は1925年に国民政府を成立し、1927年に北洋軍閥を倒して全中国を統一しました。そして、ソ連と中国共産党が国民政府を反抗する憂慮があったので、国民党は共産党に鎮圧し始めました。戦争は1927から1937年まで戦っていました。しかし、日本は1937年に中国を侵略されたので、両党の紛争はまだ解決したでも盟約を締結しました。第二次世界大戦が終わった後、両党はまた決裂して第二回の内戦をしまじめました。国民党はその戦争を負けて台湾に撤退しました。1949年に共産党は中華人民共和国を成立した後、台湾との戦いがまだ続けていて、戦闘機を撃墜したこともありました。現在、戦いはもう終わったが、お互いにまだ戒心を持っています。
台湾と中国大陸の問題はまだいますが、私のような現在の台湾人はもう大陸を奪回するなどの幼稚な考えを持っていません。絶対勝てないからですね(笑)。
By Jui-Chang Lee
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March 25, 2015 at 10:53 pm
最近の私の紛争といえば、卒業論文になります。自分で選んだ癖に、確実に完成するところになると、なかなかできません。諦めて泣き崩れることまでではないけど、結構苦労しています。私の部屋がまるで工房になったみたいで、本が無謀に散らばっていて、帰るとすぐにパソコンの前に座って、書き始めるしかありません。書くことに没頭するつもりで働いても、頭が全然動かないときもあります。大体終わってるところだから、今はほぼ訂正することだけで楽だと思う人もいるかもしれません。しかし、私にとって校訂は書くよりも難しいです。四十ページ以上の卒業論文を何度も見直して、間違いや曖昧なところをそれぞれみつけて排除することが大変です。でも、歯を食い縛って、頑張るしかありません。これが終わったら、ちゃんとした締結を書けて、この卒業論文を書くことで自分の能力と知恵がどれほど深くなったことが見えるような気がします。先書いたように、大変なときもあったけど、頭の鍛錬にもなるような、すごくいい経験だと思います。
By Amber Seitz
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